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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1560号 判決 1978年9月27日

昭和五二年(ネ)第一、三二四号控訴人、同第一、三五三号被控訴人、

同第一、五六〇号被控訴人

古関春雄

右訴訟代理人

伊東勝

外一名

同第一、五六〇号控訴人、同第一、三二四号被控訴人

古関一雄

同第一、三五三号控訴人、同第一、三二四号被控訴人

山倉一城

右訴訟代理人

佐藤恒男

同第一、三二四号被控訴人

井上節子

主文

一  原判決中同判決主文第三項を取消す。

二1  右古関一雄は右古関春雄に対し原判決添附物件目録三及び六記載の各土地につき昭和二七年三月一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  右山倉一城は右古関春雄に対し右各土地につきなされた千葉地方法務局成田出張所昭和四六年八月一二日受付第一〇、八九九号の各抵当権設定登記・同出張所同月六日受付第一〇、七〇五号の各所有権移転請求権仮登記・同出張所同月一二日受付第一〇、九〇〇号の各条件付所有権移転仮登記の各抹消登記手続をせよ。

3  右井上節子は右古関春雄に対し右各土地につきなされた同出張所昭和四二年一二月一九日受付第九、二〇八号の各停止条件付所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  右古関一雄の本件控訴(同第一、五六〇号)及び右山倉一城の本件控訴(同第一、三五三号)をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その五を右古関一雄の負担とし、その四を右山倉一城の負担とし、その一を右井上節子の負担とする。

事実《省略》

理由

本件につき審究した結果、当裁判所は春雄の本訴請求を全て認容すべきものと判断する。その理由は次のとおり訂正、附加するほか原判決の理由と同じであるから、これをここに引用する。<中略>

原判決一〇丁表一行目の「原告は」から同末行の「措信しない。」までを「昭和二六年一二月頃訴外根本甚三、鈴木吉松が仲に入つて春雄と亥之助との間に話がまとまり、豊住地区長沼の開墾田等は亥之助のものとするが、本件各土地のうち三と六とを除くその余の土地及び右三、六の土地と交換分合される前の上中島の土地(すなわち成田市竜台字上中島二、一九〇番、田一反九歩)は亥之助が春雄にいずれもこれを贈与する、との約定が成立し、昭和二七年三月一日頃春雄は亥之助から右各土地の引渡をうけ、自己のものとしてその耕作を開始し、その後も右耕作を続け、後記のとおり右上中島の土地につき交換分合による移動があつたほか、右の状態のまま推移し現在にいたつている。この認定に反する原審証人古関とり(第一、二回)の名証言はにわかに信用し難い。」と訂正する。<中略>

同一〇行目の「七、以上の」から同一二丁裏五行目の「判決する。」までを次のとおり訂正する。

「そして、前記五、冒頭掲記の各証拠によると、春雄は、右交換分合の前は右上中島の土地を前記のとおり自己のものとして、その後は本件三及び六の土地を自己のものとして引き続きこれを占有使用して、その耕作を続けたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、一般に、土地改良法に基づく交換分合により農用地の得喪が生じる場合、特定の所有者が取得する農用地と失う農用地とが物理的に別異のものであることは明らかであり、また両者を同一性あるものとする法律上の擬制もない。

しかしながら、両土地の得喪の原因である交換分合は、土地改良法に定める交換分合計画に基づき、農業経営の合理化、効率化、農業生産力の増進を目的として一定の農用地につき、統一的、集団的になされる行政処分の性質を有するものであり、同法によれば、同計画において両土地は関係者の同意のある場合のほか、用途、地積、土性、水利その他の自然的条件及び利用条件を総合的に勘案しておおむね同等のものとなるように定めなければならないとし、また、右交換分合により所有者が失うべき農用地に対する担保権、用益権等の権利については、これを保護するため、同計画の定めるところにより、右所有者が新たに取得する農用地に設定され、右設定の効力は右交換分合の発効と同時に生ずるものとしていることは同法上明らかである。すなわち、同法は、同法に定める交換分合に基づく農用地の得喪が、私法上の取引における交換等による場合とその性質を異にすることに鑑み、両土地の客観的同等性を保障するとともに、旧土地に対する権利関係が新土地に承継されるようその保護をはかつていることが明らかであり、このことからすると、右交換分合による農用地の変動があつた場合において交換分合の前後を通じ両土地に対し自主占有が維持、継続されているときは、取得時効の成否に関するかぎり、旧土地に対する占有による利益を保護する趣旨で両者に対する占有に同一性を認めるのが相当であつて、右交換分合による農用地の変動を目してこれを取得時効の自然中断その他の中断事由となすべきでないと解される。

七以上の認定、説示からすると、本件三、六の土地を含め本件一ないし一三の各土地全てについて、春雄は昭和二七年三月一日頃以降今日までこれを自己のものとして占有し、その耕作を継続してきたとみるべきである。

八一雄は、春雄の本件土地の占有については農地法所定の許可がないから自主占有になりえないと主張する。そして、<証拠>によると、春雄と亥之助とは昭和二七年頃知事に対して本件土地(ただし、三、六の土地を除く)及び右上中島の土地につき農地法第三条の許可申請の手続をしたが、昭和二九年一〇月二日に亥之助が死亡したため、右許可を得ることができないまま推移したことが認められる。しかしながら、春雄が亥之助から昭和二六年一二月頃右各土地の贈与を受け、昭和二七年三月一日頃これの引渡を受け、自己のものとしてこれの耕作を開始したことは前認定のとおりであるから、右許可を得ていなくても春雄はその頃所有の意思をもつて右各土地の占有を始めたものというべきであり、一雄の右主張は理由がない。

九平穏又は善意でない旨の一雄の抗弁、すなわち、強暴又は悪意の抗弁について考えるに、本件においては二〇年の取得時効が主張されているにすぎないから右悪意の抗弁は主張自体失当であり、強暴の抗弁については、これに沿う原審証人古関とり(第一、二回)の各証言はにわかに信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、結局右抗弁は全て理由がない。

一〇右のとおりであつて、春雄は昭和四七年三月一日頃の時効完成により本件一ないし一三の各土地の所有権を取得したものというべきであるから、春雄の一雄、一城、右井上節子に対する本訴請求は全て理由がある。」

以上の次第で、これと異る原判決は右の限度で取消を免れないものであり、結局、春雄の本件控訴は理由があるが、一雄及び一城の各本件控訴は理由がない。<以下、省略>

(外山四郎 海老塚和衛 鬼頭季郎)

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